川の流れに/2 ◇「お父さんは仕事なんだ」

利根川=森田剛史写す

 黒岩基次さんは、66年4月、18歳で北群馬信用金庫に入った。きっかけは野球だった。

 高校時代は軟式野球部のエースで4番で主将。野球漬けの日々だったが、大学受験には全敗した。その時、「うちで野球をやらないか」と声を掛けてくれたのが北群馬信金だった。「野球を続けられるなら」と誘いに応じた。

 初めはつらかった。金融の世界に興味があったわけではない。高卒の丸刈り頭が売掛金の回収に回っても、相手にしてもらえない。そこで負けず嫌いの性格に火がついた。「年齢でだめなら、知識で」。猛勉強して、宅地建物取引主任者などの資格を次々に取った。支店内の営業成績も急激に伸びた。「野球と同じ。努力すれば結果が出る」。やる気が出た。

 信金の野球部では、選手兼監督。県内14信金の対抗戦では、常勝チームだった。仕事も順調で、82年には35歳で前橋支店長に抜てきされた。同期の出世頭だった。

 日本経済は右肩上がりを続けていた。支店長自ら営業に回って大口の契約をまとめ、支店の営業成績は常にトップ。攻めの姿勢で前橋市内の支店を1店舗から3店舗に増やし、成功させた。

 当然ながら、連日の宴席で帰宅は深夜。週末も上司に誘われると、ゴルフや旅行の運転手役を買って出た。年末年始に、信金幹部の私的な旅行に付き合ったことも。「これも信用の証しだと思えば苦にならなかった」

 支店長時代、旅行はおろか、家族と一緒に外食した記憶もない。「明日は運動会だから来てね」とはしゃぐ子どもたちに、返事はいつも「お父さんは仕事なんだ」。職場結婚で仕事に理解のあった妻咲江さんも、「これでは母子家庭か未亡人」と嘆いた。少年野球チームで活躍する長男の成長も楽しみだったが、日曜日の試合を見に行くこともかなわなかった。

 多忙だが、順風満帆。そう思えた人生。それが突然、暗転した。92年5月。支店長職を解かれた。降格人事だった。

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(毎日新聞2003年10月16日朝刊から)

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